宗教指導者の非難の目を逃れて、秘密のピッチでサッカーをする女の子たちの姿。そして、サッカーのトップレフェリーとして活躍する女性の登場。どちらも普通ならありえないことだが、これはレバノン北部のある難民キャンプで実際に起こったサクセスストーリーだ。

ナハル・アルバレド難民キャンプでは、今も数千人ものパレスチナ難民やシリア難民が劣悪な環境で、食べ物もろくに得られない生活を送っている。そんな場所でスポーツを通じた学習を推進するプロジェクトが行われ、現地の慣習を覆すような小さな文化的革命が起こった。

発端は、世界的なチャリティ団体Right To Playが支援する教育センターでの出来事だった。難民キャンプの宗教指導者が女子サッカーを禁止し、女性コーチを辞めさせようとしたのだ。

「ある日の金曜礼拝の時に、宗教指導者の人たちが言ったんです。『当キャンプには、サッカーの指導をする女のコーチがいる。これは容認できない。あってはならないことだ。女がサッカーをすることなど、けしからん』って。それで、女性のコーチは解任させられて、代わりに男性がコーチに任命されました」。そう話すのは、サラ・エル・ジジ。Right To Playのスポーツ・人道支援プロジェクトでヘッドコーチとして、レバノンの首都ベイルートで活動している。

「女の子が短パンを履いていて、とは言っても長めの短パンなんですが・・・・・・。それで上は半袖のTシャツを着ているので、気に入らなかったんだと思います。女の子がこういうユニフォームを着て人前でスポーツをしていることを快く思わなかったのでしょう」

この問題に対し、壁を作るという驚きの解決策が取られた。いやむしろ、「壁の内側に作る」と言うべきか。「教育センターの裏にスペースがあったので、Right To Playがそこに女子用のサッカーピッチを作りました。そこなら、キャンプの住人に見られることなくサッカーができます」とエル・ジジは説明する。

「サッカーの練習を続けてほしいと、女性コーチたちが子どもたちや保護者を何度も説得しました。今では、前よりも多くの女の子たちがサッカーをしています。みんな自由にサッカーを楽しんでいます」

人目を遮る壁に守られながら、女の子たちはサイドラインの外側に立つ父や兄弟、異性の友人の声援を受けている。女性のリーダーシップを育み、インクルージョンの精神を広く普及させたいというコーチの意向もあり、男女混合の試合も行われる。そうした活動の一つである「ガールズ・スコア」では、女の子がキャプテンに任命され、チーム編成を任せられる。そして点を取る役割も、女の子が独占する。

Right To Playの英国広報担当シニアマネージャーを務めるニムタツ・ターニャ・ノーディンは、この活動について次のように説明する。「ゴールを決められるのは、女の子だけと決まっています。そうすることで女の子がチームの中心となって、自信を持てるようになるんです。それから、これが特に大切なんですが、男の子が女の子にボールをパスすることになるので、男の子が女の子を対等な存在として見るようになります」

「男の子を巻き込むことで、長い時間のかかる社会的変化の種をまいているんです。あらゆる年代の女性に不利な扱いをするような根深い差別意識や振る舞いの克服を目指しています」

闘いに勝ったと言うには、まだほど遠い。ナハル・アルバレドの一角に壁で囲まれたピッチが作られたことでサッカーができるようにはなったものの、依然として女子サッカーが許されたわけではない。女性が参加できる試合と言えば、難民キャンプの外でRight To Playがたまに開催するトーナメントくらいだ。

しかし少しずつ、変化が現れている。特に、女の子たち自身の態度が変わってきている。「前よりも自信を持つようになっています」とエル・ジジ。「自信によって、彼女たちの人生が変わりつつあります。近隣住民や親、兄弟姉妹との関わり方にも変化が出てきています」

彼女たちの未来も変わりつつある。その一例がラティファ・キラニだ。「彼女はどの男の子よりもサッカーがうまいんです」とエル・ジジは言う。ラティファは現在、U-16レバノン女子代表チームの選手として活躍している。サナー・エル・シェイフも、良い例だ。彼女は両親を亡くしたが、レバノンの第二の都市トリポリのコベという地域にサッカー教室を開き、弟と妹を養えるようになった。最近では、トリポリの男子3部リーグに属するチームであるアンサー・アル・マワダ・スポーツ・クラブの監督に任命された。ほぼ前例のない大抜擢である。

ナハル・アルバレドの人々がこうした成功を収めることは、かつては到底考えられないことだった。13年前、レバノンの治安部隊とイスラム過激派の間で紛争があり、ナハル・アルバレド難民キャンプは壊滅させられた。その後、この地域は国連パレスチナ難民救済事業機関により「人道危機が頻発する場所」に指定された。この地域での紛争後の復興事業は、同機関の事業としては過去最大の規模となった。

今でも6,600万ドルほどの資金不足はあるが、着実に前進している。2007年に2万7000人が難民キャンプからの立ち退きを強いられたが、その大半がキャンプに戻れたのだ。しかし推定7,137人(1,600世帯)は、今でもキャンプに戻れる日を待ちわびている。ある国連報道官は、次のように語った。「まだキャンプに戻れていない人々の大半は、民間の施設を借りているか、仮設避難所で暮らしています。その多くは非常に劣悪な環境です」

エル・ジジは、キャンプでの厳しい生活を次のように語った。「難民のみなさんは、貧しい暮らしをしています。電気が止まることなんて日常茶飯事です。安全な場所はどこにもなく、利用できる公共施設もありません」

そうした状況では、サッカーなど大した意味を持たないように感じられる。しかし、ナハル・アルバレドの人々が今も毎日を生き延びるだけで精一杯だとしても、スポーツにすべての女性の運命を変える力があることは確かだ。3年前にボランティアとしてRight To Playに参加したレバノン人のゼイナブ・ハラビ(28歳)は、身をもってそれを証明している。

「Right To Playの存在がなければ、今の私はなかったと思います」とハラビは言う。彼女は元キックボクサーであり、また重量挙げ選手権に出場し、アラブ人女性の中で優勝した経歴も持つ。「スポーツが私に自信をくれたんです」

レバノンには、レベルを問わずとにかく女性のサッカー監督が少ない。そんな国でハラビは、レバノン女子サッカーリーグに属するモンタダ・ノース・レバノンの監督をしていたことがある。そして現在は、男子1部リーグのマッチコミッショナーとして活躍している。この仕事に女性が起用されたのは、ハラビが初めてだ。彼女は一定の名声を得るまでに至ったが、そのきっかけとなったのは、サッカーに関わる仕事を否定した夫との離婚を決めたことだった。

元夫はキックボクサーだった。ハラビのコーチになり、やがて二人は結婚したが、彼は結婚後間もなくハラビにサッカーの指導をやめるように言った。「私のチームは男子ではなく女子のチームだったのに、あの人は私にやめろと言ったんです」とハラビは当時のエピソードを語った。

関連記事: 「家族が目の前で死んだ」シャティーラの難民が語った真実

「元夫は、『お前は家にいて、俺の帰りを待つべきだ。料理と掃除もしろ』と言いました。それで私は言い返したんです。『私は奴隷じゃない。私には私の世界があるの。それを尊重してくれるって言っていたじゃない。私には私の人生があって、サッカーが生きがいなの。あなたと私の世界は違うのね。一緒にいるのは無理だわ』ってね」

別れるのにも一苦労した。元夫が練習中に押しかけてきて騒ぎを起こし、ハラビは警察を呼ぶと言って彼を牽制したこともあった。しかしハラビは、自分のしたことに誇りを持っており、ナハル・アルバレドの若い女性たちのロールモデルとなった。

「私はいつでも女の子たちの味方です。私が今やっていることは、みんなにもできることだと伝えています」とハラビは語る。「みんなによく言うんです。私みたいになりたければ、スポーツをするべきだって。私を超えることだってきっとできる。スポーツをしていれば、ほしい未来をいつか手に入れられるのだから、と」

 

この記事は、The Guardianのレス・ルーパナリンが執筆し、NewsCredパブリッシャーネットワークを通じてライセンスされたものです。ライセンスに関するお問い合わせはlegal@newscred.comまでお願いいたします。