ファッション好きを自認する私は、これまでの人生を当時履いていた靴でたどることができるほどだ。10代の頃の私といえば、茶色のデッキシューズ。本来は船上で履く靴だが、当時も今もヨットに興味はない。アイルランドの靴メーカー「デュバリー」のデッキシューズが、私が通っていたアイルランドのカトリック系女子校の指定靴だったのだ。革がなかなか馴染まない靴で、ようやく履きやすくなるのは学年が終わるころ。このデッキシューズが学生にふさわしいと誰が判断したのかは知らないが、私を10年近く悩ませたこの靴は、今も変わらず母校の指定靴だという。
思春期に入ったころにいつも履いていた一番のお気に入りは、大きなリボンのついたピンクのローファーだ。大通り沿いにある店の子ども靴売り場で買ったものだが、当時は、服とのコーディネートなど考えたこともなかった。パジャマでもドレスでも、ちょっとコーヒーを買いに行くときに着るジャージでも、とにかく何にでも合わせて履いていた。今はもう修理できないほど古くなっているが、まだ捨てられず、ベッドの下の箱にしまってある。時おり、取り出してはうっとり眺めている。この靴はいろいろな場所に私を連れていってくれた。自分が誰で、人生で何をしたいのかが分かり始めた時期をともに過ごしたからだろうか、不思議と「何だってできる」という気にさせてくれる。
もちろん、障害があって低身長の私に合う靴を見つけるのは簡単なことではない。私の足のサイズは12(18.5 cm)なので、このサイズの靴は子ども靴売り場にしかない。子ども向けにハイヒールを作ることには賛成できないが、私はもうすぐ30歳だ。障害のない友人たちが履いているような大人っぽい靴がほしいというのは、かねてからの願いだった。
こうした状況が大きく変わったのは、昨年末のことだ。ミラノで開かれたグリーンカーペット・ファッションアワードで、隣に座っていたフェラガモのクリエイティブ・ディレクター ポール・アンドリューにこう提案してみた。「一緒にカスタムシューズを作りませんか?」彼が乗り気でない場合に備えて、ウィンクしながら冗談めかして言ったものの、私はかなり本気だった。そして、すばらしいことに彼も真剣に受け止めてくれた。それからすぐにフェラガモの靴職人たちに会い、一つの靴を作るのに必要な40の工程について学んだ。自分の無知を痛感しながらも、私はとうとう念願のハイヒールを手に入れた。「ヴァラ」コレクションのクラシックな黒いパンプスで、花の形をした金色のヒールがついている(上の写真)。シンプルかつエレガントで、優れたデザインには無限の可能性があることがよく分かる。
私はこのパンプスを履いて、素晴らしい経験をした。英Vogue誌2019年9月号の表紙を飾り、アイルランド国家評議会のメンバーに任命され、ケイト・ブランシェットやフィービー・ウォーラーブリッジ、さらにはニュージーランドのジャシンダ・アーダーン首相にも会うことができた。最近では、ビクトリア・ベッカムの2020年春のファッションショーでこのパンプスを着用した。そこでは、大女優のデイム・ヘレン・ミレンと着心地の悪い女性用下着のデザインを変える方法を考えた。
私がファッションに興味を持ちはじめたころと比べると、(低身長向けの)靴の選択肢は広がった。嬉しいことに、私のワードローブには、グッチのローファーとアディダスのスニーカー「シェルトゥ」も加わった。今では、靴が、私が一人の大人であるということを世界に伝えてくれる。そして、年齢にふさわしい敬意、選択の自由、自主性を与えてくれる。私は、障害がある私にも使えるようになっているすべてのものに感謝しているが、それでもまだすべきことはあると感じている。デザインは人々をつなぐこともできるが、より強い孤独感をもたらすこともある。そして、靴はその人の人生の歩みを示す物理的で、象徴的な指標だ。私の使命はデザインと障害を近づけること。美しく、魅力的で、素晴らしい靴を誰もが楽しめるようになるまで、私は歩みをとめない。
この記事は、InStyleのシネイド・バークが執筆し、NewsCredパブリッシャーネットワークを通じてライセンスされたものです。ライセンスに関するお問い合わせはlegal@newscred.comまでお願いいたします。