ラオスにある小児病院。小児医療の現地化を目指して活動するのは、日本のNPOです。大切にしているのは、自分の家族と同じように、思いやりの心で接する「コンパッショネイト・ケア」。2030年に病院の運営を現地に引き渡すことを目標に、コロナの影響にも負けず、今日も治療を受ける子どもたちやその家族、現地のスタッフと向き合っています。(JAMMIN=山本 めぐみ)

心のこもった、質の高い医療の提供を目指して

ラオスにある「ラオ・フレンズ小児病院」。「子どもたちにとって、‟遊び”は重要。コロナ禍でみんなとても大変な時も、入院している子どもたちを笑顔にするために頑張りました」

NPO法人「フレンズ・ウィズアウト・ア・ボーダーJAPAN」は、アジアの子どもたちに、持続可能で質の高い小児医療を届けるために活動しています。1999年にカンボジアで最初の病院「アンコール小児病院」を設立し、2013年には現地化。その後、2015年にラオスに「ラオ・フレンズ小児病院」を作り、2030年の現地化を目指して活動しています。

「私たち外国人が医療を提供し続けるのではなく、現地の人たちに病院の運営を引き渡していくことが最終の目標。『コンパッショネイト・ケア(思いやりの心を持って対応する)』を大切にしており、小児病院という箱物をつくるだけでなく、心のこもった質の高い医療の提供を目指して、現地の人材育成に力を入れています」と話すのは、代表であり看護師の赤尾和美(あかお・かずみ)さん(59)。

お話をお伺いした赤尾和美さん

「1999年に団体に関わった当初、私の心構えとしても『まずはとにかく、知識と技術だろう』という姿勢でした」と振り返る赤尾さん。しかし、知識と技術だけではどうにもならない事態に遭遇したといいます。

「現地の医療職の子たちは皆、頭が良くてモチベーションも高く、知識や技術はすぐに学んでくれました。しかし一方で、子どもの症状以外は放置されているような状態でした。待合室で泣いている子どものことやお母さんの表情をきちんと見ているか、こういったことは知識や技術ではどうしようもないと痛感しました」

「たとえば死に直面した時、子どもの余命を親御さんに告げなければならない時、我が子が亡くなって大泣きしている家族がいる時、それがそのまま放置されているようなことがあったんです」

「『医療以外は関係ない』と放ったらかしにするのが、私たちの目指すあり方なのか。目の前にいる患者さんや家族を、自分の子どもや家族と同じように思って接することができて初めて、ケアであるのではないか。そのためには、関わってくれているスタッフ一人ひとりが、日々の認識や行動を、本当に少しずつでも変えていく以外に方法はありません」

気温が高い中、防護ガウンを着てロックダウンでも続けた訪問診療

コロナ禍では防護ガウンを着ての診察が必須。「外来でトリアージをしているスタッフにカメラを向けた時、ポーズをとっておどけてみせたスタッフです。どんな時も楽しくお仕事する心意気が嬉しいです」

医療の現場、ラオスもコロナの感染拡大の影響は大きかったといいます。

「病院では、日々の業務に加えてコロナの対応が必要になり、毎日、手探りの中で初めてのことに挑んでいました」と赤尾さん。

「コロナ感染の可能性があると、隣接する県立病院のコロナ病棟に入る必要があったのですが、感染がわかっても、もともと持っている病気の症状があまりに重く、小児専門のスタッフがいないコロナ病棟に送ることが難しい子がいたり、入院患者やその家族、スタッフにまで感染が拡大する中、限られた人員をどう配置するかといったことに、その都度対応する必要がありました」

「初めての経験ばかりでストレスはありましたが、おかげで現場のリスクマネジメントの力がついたと思います」

ロックダウンで制限された訪問看護も、村で防護服を着て対応した。「炎天下、暑さが半端なかったです」

一方で、都会から離れた村への訪問看護も継続していたといいます。

「コロナ前、訪問看護では100~200名の患者さんを診ていました。その中でも10名ほど、コロナだからと訪問しないでいると命に関わる患者さんがいたので、ロックダウンであろうと、行かなければならないという思いで、訪問する患者さんを最小に絞り、診療を継続しました」

「ラオスの保健局から特別に許可証を出してもらい、道路のチェックポイントごとにそれを見せながら村まで辿り着き、村に着いてからも村の人に状況をあれこれと説明して、やっと入れるようなかたちでした」

「村の人が銃を持って見張っていることもありました。許可証を見せてもなかなか入れてもらえず、あちこちに電話してやっと説得でき、渋々入れてもらうことも多かった」と赤尾さん。「医療従事者である自分たちが村にコロナを持ち込まないように」と、細心の注意を払っていたといいます。

骨肉腫を患っていたNちゃん。専門病院に入院するための資金調達を試みる中で、症状は悪化。緩和ケアを提供するために彼女の村を訪れた数日後に息を引き取った。「何を感じていたのか本当のところは誰も分かりませんが、彼女は皆の心に強く残りました」

「もし私たちが来たことが原因でコロナ感染が拡大してしまったら、この活動が元も子もないと思いましたし、ただでさえ医療が遠いのに、私たちがコロナを持っていったとなれば、『やっぱり医療は信用できない』とますます医療から遠ざかってしまう。常に危機感を持っていました」

「ちょっとでも何かあるといけないので、日中35度を超える病棟ではもちろん、村でも防護ガウン、マスクや手袋を着用し、完全に防備する必要がありました。訪問看護では、一軒お宅を訪れるごとに、車に戻ってガウンや手袋をすべて新しいものに替え、また次のお宅を訪問するというかたちでした」

「後はとにかく自分たちが健康を損なってしまったらどうしようもないので、体調管理を徹底しました」

「医療は医療だけで存在しているわけではない。『その人を看る』ことが大切」

「家でご飯を炊いたり、暖をとったりする時に使う木を、森の中から集めて帰宅する子どもたち。こんな小さな子どもたちにも、家族の一員としての役割がちゃんとあるのです。『生きている活動=生活』をみんなが担って生きているということを感じます」

リスクを背負ってでも続けた訪問看護。どのような家庭を訪問していたのでしょうか。

「あるご家庭は、両親に知的障がいがあって、生まれた赤ちゃんにミルクをきちんとあげることが難しく、赤ちゃんの成長が気になっていたので訪問しました。貧困でミルクを購入できず、病院から提供していたので、それを渡しがてら様子を見に伺いました」

「『わざわざ訪問しなくても、まとめて渡したら良いのに』と思われるかもしれません。でもそれでは、ミルクを届けることはできても、赤ちゃんがきちんとミルクを飲んで、健やかに成長しているかどうかはわかりません。実際に伺って、ご家庭の状況やお子さんの健康状態を確認する必要がありました」

「脳に炎症があって麻痺があり、食べ物を食べることが難しいお子さんのご家庭は、患者さん本人の栄養状態をチェックしながら、どのような食事だったら食べられて、またご家族がそれを作れるか、家庭の状況を伺うために訪問しました」

訪問看護へ向かう道中。「ラオスでは車では行かれない場所もあります。交通手段を持たない患者さんたちに、つい『どうして、もっと早く病院に来なかったの?』という言葉をかけてしまうことを反省する経験にもなります」

「末期の小児がんの患者さんがいるご家庭は、電話で状況を確認してはいたのですが、やはり状況が見えないため、訪問しました。末期のがんの場合、痛みのコントロールのために最終的にはモルヒネを用いるのですが、それをきちんと管理・提供する必要があります。ご家族にそのあたりを再度お伝えするためにも、訪問が必要でした」

「教育を受け、足し算や引き算を習い、時間の概念を皆が持っている日本の環境では、説明をして、それが理解できないという状況がなかなかイメージしづらいかもしれません。しかしここでは、学校教育を受けておらず、時計を使ったことがない、足し算や引き算がわからないという状況にも出くわします」

「そういう方たちを相手に医療や看護を提供する時に、自分の感覚だけでいくと、場違いになってしまう。その場にいないと状況が見えないということが、多々あります。こちらが説明した時、皆さん『はい、わかった』と素直に答えてくださいますが、それが本当に日々の生活で、実践できているかどうかが大切です」

「そのためには、いつも『人を看る』というのですが、患者さん一人ひとりの体だけでなく、その方を取り巻くいろんなもの、家族や生活環境、信じているもの、知識などをひっくるめて知り、関わる必要があります」

コロナの中で生まれた、現地スタッフの意識の変化

現在のアウトリーチチームのメンバー。「看護師2名、ソーシャルワーカー1名、カウンセラー1名、ドライバー1名と私というコンパクトなチームですが、外来、一般入院、新生児室、訪問看護と全てをみています」

コロナ前は、多くの外国人スタッフやボランティアが関わっていた活動。しかしコロナの流行によって、その多くが自国へ帰らなければならない状況に陥る中、現地スタッフの意識に変化が生まれていったといいます。

「現地スタッフたちが自分たちで考えて動いてくれることが増えました。本当に少しずつですが、それでも確実に、ラオス人スタッフたちの中で『自分たちでやれている』という自信や信頼が生まれてきていると感じます。コロナ前、各部署のトップはほとんど外国人のスタッフでしたが、今はほぼ、ラオス人です」

「2030年の現地化を目指して、リーダー格の地盤固めのために、さらに成長してもらえたら。外国人である私たちが去った後に、なくなるのでは意味がない。ここに着実に、確実に根付くものがほしいと思っています」

団体の活動を応援できるチャリティーキャンペーン

チャリティー専門ファッションブランド「JAMMIN」(京都)は12/12〜12/18の1週間限定で「フレンズ・ウィズアウト・ア・ボーダーJAPAN」とコラボキャンペーンを実施、オリジナルデザインのチャリティーアイテムを販売します。

JAMMINのホームページからチャリティーアイテムを購入すると、1アイテム購入につき700円が団体へとチャリティーされ、訪問診療のガソリン代として、また入院中の患者家族に提供する食材を購入する資金として活用されます。

1週間限定販売のコラボデザインアイテム。写真はTシャツ(700円のチャリティー・税込で3500円)。他にもバッグやキッズTシャツなど販売中

JAMMINがデザインしたコラボデザインに描かれているのは、並んだ窓から顔を出す動物たち。患者一人ひとりとその家族の暮らしに寄り添う「コンパッショネイト・ケア」を表現しました。JAMMINの特集ページでは、インタビュー全文を掲載中!こちらもあわせてチェックしてみてくださいね。

我が子のように、家族のように。思いやりの心で接する質の高い医療を地域に根付かせ、アジアの子どもたちに届ける〜NPO法人フレンズ・ウィズアウト・ア・ボーダーJAPAN

「JAMMIN(ジャミン)」は京都発・チャリティー専門ファッションブランド。「チャリティーをもっと身近に!」をテーマに、毎週さまざまな社会課題に取り組む団体と1週間限定でコラボしたデザインアイテムを販売、売り上げの一部(Tシャツ1枚につき700円)をコラボ団体へと寄付しています。創業からコラボした団体の数は400超、チャリティー総額は7,500万円を突破しました。

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この記事は、株式会社オルタナ『オルタナS/執筆:山本めぐみ』(初出日:2022年12月14日)より、アマナのパブリッシャーネットワークを通じてライセンスされたものです。ライセンスに関するお問い合わせは、にお願いいたします。