これまで、医師、アカデミアや文献からの情報をベースとし、理論先行で構築されてきた新薬開発の枠組みに、今、新たな風が吹く。医薬品の研究・開発に患者の視点を生かす「ペイシェント・エンゲージメント」(患者参画)の本格化である。

ペイシェント・エンゲージメントとは、研究者と患者が直接(かつ継続的に)対話の機会を持ち、相互理解を深めることで、医薬品に求められる真のニーズを掴み取ろうとするもの。特に、創薬の初期、非臨床フェーズからの患者参画が創薬の方向性に与えるインパクトは大きく、より患者ニーズに沿った価値の高い医薬品の創出が期待される。

日本においては、すでに製薬企業4社(武田薬品工業、第一三共、参天製薬、協和キリン)が協力し、患者やそのご家族と直接対話する取り組みを開始した。ここでは、2022年9月28日(水)武田薬品工業が主催した第1回「Healthcare Café」の様子をレポートする。

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「Healthcare Café」(ヘルスケアカフェ)とは

病気や障害を持つ患者さんなどの当事者と製薬企業の従業員が対話・交流を通じてお互いを知ることで、当事者の視点・ニーズを医薬品の研究および開発に活かすことを目的とする交流イベント。毎回担当となる製薬会社が、疾患やテーマを決定する。賛同する製薬企業、アカデミア、CROの参画を呼びかけている。

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 「患者のために」から「患者とともに」

本イベントは、毎回、取り扱う疾患・テーマが担当する各製薬会社に一任されている。第1回目となる今回のテーマは「難聴」。当日は、研究者を中心とした4社の従業員に加え、外部研究者、医師、難聴当事者とそのご家族など総勢558名が参加した。

これまでも、薬の効果を検証する開発段階、あるいはそれ以降の開発段階においては、部分的な患者参画が実施されてきた。しかし、この時点では、すでに医薬品開発の大枠は決定しており、当事者ニーズを受けて医薬品開発の方向性を変更することは難しいのが現実だ。

より早期、非臨床の研究段階からのペイシェント・エンゲージメントの実践は、「もっと長い時間効く薬が欲しい」「即効性がある薬が欲しい」「毎日の飲み薬よりも一ヶ月に一回の注射の方が良い」といった患者ニーズを反映した創薬を可能にする。これは言わば、患者などの当事者を中心に据えた創薬プロセスと言えるだろう。

『「患者のために」から「患者とともに」――。患者さん、製薬各社、双方にとってより便益のある具体的な成果物を出すために、創薬の全ての過程において、患者さんとの対話を進めていきたい。思いを同じくする4社で今日を迎えられたことを嬉しく思います。』と武田薬品工業ニューロサイエンス創薬ユニット國貞氏。

課題となる研究者のマインドセット

では、必要性が理解されていながら、これまで非臨床の研究段階におけるペイシェント・エンゲージメントがほとんど行われて来なかったのはなぜか。

課題の1つは、研究者のマインドセットにあるという。製薬業界の研究者にとって、情報収集は学会や文献、医師の意見が常套手段であった。

『そもそも研究段階から「患者さんとの対話が重要だ、必要だ」という認識が十分浸透していない。いざ、その認識を持ち始めたところで、対話を実施しようとすると、どうしたらいいのか分からない、成功が約束されていない状況で患者さんに過度な期待を与えてしまうのではないかという不安、思い込みがハードルとなっていた』と國貞氏。

【非臨床段階におけるペイシェント・エンゲージメントの妨げとなる要因】

・患者と対話する必要性の認識不足

・(非臨床の現場における)患者さんと研究者が対話できる環境整備の不足

患者のインサイトを研究戦略に落とし込む経験とノウハウの不足

・企画の準備・実施における実務的負担

これらの課題の解決に向け、武田薬品工業と第一三共は、患者さんと対話するにあたっての流れ、研究者が持つべき心がまえ、マナーなどをまとめた、研究段階からの創薬活動におけるペイシェントエンゲージメントのガイドブックを作成。2社の公式ホームページにて公開している。

「非臨床段階からの患者参画というのは、世界的にみても黎明期。グローバルを見渡しても、患者との対話で得たインサイトをどのように研究戦略に落とし込むのかといったノウハウや、ベストプラクティスの蓄積もまだない状況。この取り組みを通して、研究開発担当者と患者さんの対話の機会がより多く提供できるようになれば」(國貞氏)

ペイシェントエンゲージメントの実践(疾患理解&パネルディスカッション)

第二部では、順天堂大学医学部耳鼻咽喉科学講座神谷和作先生による講演「iPS細胞で難聴の医薬品をつくる〜難聴バイオ医薬品の実用化に向けて〜」が実施された。

現在、聴覚疾患を抱える人は世界で4.7億人、30年後には9億人に達すると推測されている。現在のところ、補聴器等のデバイスはあるが、根本的治療を担う医薬品はなく、WHO(世界保健機関)は、このまま具体的解決策がなければ、年間約80兆円の治療コストが世界経済を圧迫すると警告する。

※参考文献:WHO launches the hearWHO app for mobile devices to help detect hearing loss

神谷氏が長年取り組むのが、その侵襲性の高さから手術や観察が困難とされている「内耳」を標的とした難聴治療薬の開発だ。講演では、iPS細胞、バイオ技術、ゲノム編集技術などを用いた治療薬の可能性が示された。研究者や記者などからは、今後の開発における方向性など、多くの質問が飛び、新薬への期待値の高さを伺わせた。

※人体を切開したり、一部を切除したりする医療行為のこと。一般的に侵襲性が高いと患者さんの身体的負担が大きいとされる。

画像:パネルディスカッションの様子

熱量を引き継ぎつつ、会場は製薬会社研究員、難聴当事者(患者)、患者家族の3者を交えたパネルディスカッションに移行。事前に実施された座談会において得られた気づきや学びの共有が行われた。座談会を通して、患者や家族の“生の声”を聞いた製薬会社研究者たちからは、次のような意見、感想が聞かれた。

「中等度難聴は補聴器をすれば、ある程度は聞こえるという理解だった。しかし、補聴器によっては風や湿気、磁場に弱いケースがあること、また、前方からの聞こえは良くとも、後方からは聞き取りづらい場合があることを初めて知った。」

「内耳への注射は侵襲性が高く、患者さんの負担が大きい印象だったが、治療効果や持続時間、通院の負担との兼ね合いによっては、受け入れられるという意見があり、新たな視点だった。」

「補聴器もすべての場面に対応できる訳ではなく、依然として治療薬への高いニーズあることを確認できた。」

「投与形態の希望などが分かり良かった。」

「治療薬だけでなく、医療機器や検査方法、サービスなど、まだまだ患者さんのQOLを改善する余地は残されており、医療をもっと横断的に考える必要性を感じた。難聴と一括りにせず、その原因や症状とセットでの診断が望ましい。」

※Quality of Lifeの略称で「生活の質」「人生の質」と訳されている。

その後も、日常における困りごとや診療や治療に対する希望などについて、3者間で活発に意見が交わされ、難聴をテーマとした第1回「Healthcare Café」は盛況のまま幕を閉じた。今後は、ホストとなる製薬会社を交代し、以下の内容で第2回、第3回の開催が決定している。

【今後の「Healthcare Café」開催予定】

■第2回「Healthcare Café」meets がんノート〜患者さんと製薬会社で一緒に創る世界〜(第一三共株式会社)

開催日:2022年12月6日(火)

10:00-12:00 (オンライン配信)、13:30-15:30 (オンサイトワークショップ)

第3回「Healthcare Café」視覚障害(参天製薬株式会社)

開催日:2023年1月下旬

まとめ

日本においても本格化しつつあるペイシェントエンゲージメント。このイベントを通して市場に流通する医薬品では満たせない患者ニーズの存在を理解するに加え、「患者とともに」行う創薬が、より医薬品の可能性を拓くものであることを実感した。製薬4社による本取り組みは、これからの日本におけるペイシェントエンゲージメントの広がりを期待させるものであった。