かつて、難病は読んで字のごとく「難しい病気」だった。原因不明で治療法が確立しておらず、患者さんも専門とする医師も少ないことから、研究も診断も治療も容易ではなかった。

しかし、そんなイメージが変わりつつある。

新しい診断法や治療法が見出され、医療や福祉が充実するとともに、患者さんとご家族の暮らしを守るための法整備や制度改革も進んできた。

日本難病・疾病団体協議会(Japan Patients Association:JPA)は、全国の患者会、患者団体の声を集約し、国や各方面に働きかけることで、こうした時代の到来を加速するための活動に取り組んでいる。設立の理念は、「病気や障害による社会の障壁をなくし、誰もが安心して暮らせる共生社会の実現」だ。

製薬業界は、SDGsの目標3「すべての人に健康と福祉を」の達成に貢献すべく、アンメット・メディカル・ニーズ(いまだ満たされていない医療ニーズ)を満たす医薬品の提供に努めている。いわば、JPAと志を同じくする仲間であり、パートナーである。

今回は、2021年5月にJPA代表理事に就任した吉川祐一さんをお招きし、協和キリン株式会社の担当者とともに語らっていただくことで、病気や障害をもちながら「生活者」として生きていく道筋を探っていく。

<出演者プロフィール>

ゲスト

一般社団法人 日本難病・疾病団体協議会(JPA)代表理事 吉川祐一(よしかわ ゆういち)

20歳過ぎに炎症性腸疾患(IBD)の一種であるクローン病を発症。就労を続けながら患者会、患者団体の活動に取り組んでいる。2011年からIBDネットワーク世話人を務め、茨城県炎症性腸疾患患者会(いばらきUCD CLUB)、同難病団体連絡協議会の運営にもかかわる。19年からJPA理事、副代表理事を歴任し、21年5月、現職就任。IBDネットワーク理事、茨城県難病団体連絡協議会監事、いばらきUCD CLUB会長、「難病カフェ アミーゴ」副代表などを兼務。

出席者

協和キリン株式会社 人事部 多様性・健康・組織開発グループ マネジャー    吉永 享史

協和キリン株式会社 コーポレートコミュニケーション部    PRグループ マネジャー   GIBBS好美

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写真:協和キリン株式会社 吉永 享史(左)、Gibbs好美(右)

誰も取り残さない未来のために

司会 吉川さんは2021年5月、JPAの代表理事に就任されました。はじめに、JPAとはどんな組織で、どのような活動をしておられるのか、ご紹介いただけますか。

吉川 国の難病対策がスタートしたのは、「難病対策要綱」が制定された1972年のことです。その当時から、難病や希少疾患の患者さんとご家族を支援するための患者会、患者団体が疾患別または都道府県単位、全国単位で設立され、現在に至るまでこうした取り組みが続いています。

JPAは、このような患者会、患者団体が合併し、全国の患者さんとご家族の声を集約して国に届け、医療と福祉の拡充のための政策実現を働きかける目的で2005年に設立されました※1

現在、JPAには地域単位の団体、疾患別の団体など96団体が加盟しており、構成員数はおよそ17万人に上ります。設立理念である、「病気や障害による社会の障壁をなくし、誰もが安心して暮らせる共生社会の実現」を目指して活動しています。

JPAの活動の大きな成果と自負しているのは、2014年5月に「難病法」※2が制定されたことです。その結果、指定難病に認定され、特定医療費受給証を交付された患者さんは医療費の負担が軽減されるようになりました。

また、障害者総合支援法の対象に難病が位置付けられたことにより、障害者手帳のない難病患者さんでも障害福祉サービスが受けられるようになっています。

今後とも、大きな団体や発言力の強い団体だけではなく、希少疾患の患者会のような小さな団体の声も聞きもらさないよう努め、病気や障害をおもちの方々すべてが「生活者」として安心して暮らせる共生社会の実現を目指して活動していきたいと考えています。

画像:JPA代表理事 吉川祐一さん

※1 日本で最初の難病対策の指針である難病対策要綱が示された1972年当時、すでに全国難病団体連絡協議会(全難連)」や地域難病連、全国患者団体連絡協議会(全患連)が設立されていた。1986年に全難連と地域難病連の連絡交流会が合併して日本患者・家族団体連絡協議会(Japan Patients Council; JPC)設立され、2005年に全難連とJPCが合併し、日本における患者運動のナショナルセンターの確立を目指してJPAが結成された。以後、国の難病対策への取り組みが大きく見直されるようになり、交渉窓口もJPAに一本化されている。

※2 2014年5月成立、15年1月施行。医療費助成の対象となる疾患を「指定難病」とし、患者に特定医療費受給症を交付して医療費負担を軽減することを目的として制定された。従来の難病対策要綱では、「特定疾患」を対象に医療費助成が行われていたが、疾患の種類、患者数が増大し、対応しきれない状態となったため、持続可能な制度を目指して制定された。制定前の特定疾患は56疾患であったが、21年7月現在、指定難病は338疾患となっている。

病気のことを打ち明けないまま就職

司会 吉川さんご自身の病気のことについて、お聞かせいただけますか。

吉川 大学生だった20歳から21歳にかけて、ひどく疲れやすくなり、突然の高熱、腹痛、下痢、下血に悩まされるようになりました。最初は近所の胃腸科クリニックにかかり、総合病院の専門医を紹介していただいて、正式にクローン病と診断されたということです。

クローン病は腸管に原因不明の炎症が起こって潰瘍ができる病気で、潰瘍性大腸炎と合わせて炎症性腸疾患(IBD)※3と呼ばれています。腸管の強い炎症のために発熱、腹痛、下痢、下血が起こり、同時に十分な栄養が吸収できなくなって疲れやすさやだるさが起こると考えられています。

※3  消化管に炎症をおこす慢性疾患の総称で、主として潰瘍性大腸炎、クローン病の2疾患を指す。若年者に発症することが多く、潰瘍性大腸炎は20万人、クローン病は7万人をそれぞれ超える患者が存在する。いずれも医療費の一部を国が補助する指定難病とされている。

参照:J Gastroenterol. 2021 Jun;56(6):489-526. Evidence-based clinical practice guidelines for inflammatory bowel disease 2020

画像:イメージです。

ぼくが発症した当時は、まだ栄養療法と食事療法に努め、対症療法として腹痛や下痢を抑える薬を服用するといった治療が中心でした。病気が進んで腸閉塞になったり腸管が破れたりすると手術が行われるという状況だったんです。

ぼく自身、栄養療法を受けるために定期的に通院していましたが、この病気は調子がよいときと悪いときの波が激しくて、悪くなると腸がそうめん1本も通らないほど細くなっていく感覚があるんです。

1日20回以上もトイレに駆け込まなくてはならなかったりして困り果てましたけど、最近はよい薬ができたおかげで支障なく日常生活を送れるようになっています。

司会 IBDは発症年齢が10代20代と若いことから、就職や恋愛、結婚など将来への不安抱く患者さんも多かったのではないでしょうか。見た目からはわからない病気であるだけに、周囲の人々に話しても理解されないという精神的な辛さもあったと思いますが、いかがですか。

吉川 ぼくは大学卒業後、病気を隠して就職しましたが、結局は4年ほど勤めて退職しました。当時はぼくも若かったし、弱みを見せまいと身構えていたところが大きかったと思います。

自分では愚痴をこぼしたり弱音を吐いたりしない性格だと思っており、おっしゃるようなわかってもらえない辛さというのも、当時はそんな意識のしかたすらしてなかったと思うんですね。

協和キリンGIBBS ああ、そうだったんですね。

画像:吉川祐一さん(左)とGIBBS好美 協和キリン(右) オンラインでのディスカッション風景

吉川 ええ、自分で自分を守っていくという思いが強く、周囲の人々にわかってほしいとも思っていなかった気がします。とてもよい職場でしたから、もし今の経験値をもったまま当時に戻れたら、もう少し上手に自分の病気のことを話して長く勤められただろうと思います。

退職後は病気のことを打ち明けて再就職し、結婚をして子どもも2人います。結局のところ、就職や恋愛、結婚も「案ずるより生むがやすし」なんですね。難病の患者さんが生活者として実り多い人生を送るためには、周囲の人々に病気のことを話して理解してもらうことが先決だと思います。

きっかけは同じ病室で過ごした仲間との交流

司会 吉川さんが患者会の活動にかかわるきっかけとなったのは、どのようなご経験でしたか。

吉川 発症から10年経ったころ、総合病院に入院して手術を受けました。そのとき、同世代の同じ病気の患者さんたちと6人部屋の病室で半年間、一緒に過ごしたことが大きかったと思います。おかげさまで、入院生活は合宿のようで楽しかったですね。

画像:イメージです。

病気のことだけでなく、恋愛、結婚、就職といった共通の悩みを打ち明け合い、励まし合う「ピアサポート※4の大切さを身に染みて感じました。このときの仲間たちとは「相部屋コミュニティー」をつくり、退院後も親しくお付き合いしています。

この経験が、IBDネットワークや患者会、JPAの活動にかかわるようになった原点といえるかもしれません。

※4 ピアサポート(Peer Support)仲間、対等、同輩を意味する英語のピア(peer)とサポート(support)を組み合わせた用語。同じ疾患をもつ患者やその家族など、同じような立場にある人々同士が互いに支え合い、助け合うことを指す。

司会 IBDネットワークのホームページを拝見すると、オンラインでの患者向けセミナーやピアサポートの機会を設けられたり、患者による患者のためのくすりの解説書をつくられたりといった、とてもユニークで有意義な取り組みをなさっていますね。

吉川 IBDネットワークは、1995年の阪神・淡路大震災をきっかけに設立されました。こうした大きな災害があると、IBDの患者さんは健康な被災者の皆さんとは違う、特有の問題を克服しなければいけません。

IBDネットワークは患者会の皆さんの「被災地で困っている患者さんがいる。同病の患者として助け合いたい」という気持ちがまとまり、全国的な連絡組織として発足しました。患者会、患者団体の多くは、全国組織、地域支部の会員、理事役員、会長がそれぞれタテの階層構造をつくっています。これに対し、IBDネットワークは患者会や患者団体をヨコにつなぎ、患者さんやご家族にとって有益な情報を共有しようという目的でスタートした全国組織で、上下関係のないフラットな運営を心がけています。

ぼくは、初めてIBDネットワークの総会に出席したとき、こんなすごい組織があるのかとびっくりしました。皆さん、難病患者さんとは思えない迫力があり、病気のことを楽しく語らっていて、すばらしい集団だと思いました。

IBDネットワークで大事にされていることは、活動を「楽しいからやる」「ムリなくやる」「患者のためになることをやる」という3つの原則です。ぼくはこの3原則に共感するところが大きくて、JPAの活動にも生かしていきたいと思っています。

たとえば、患者のための患者によるくすりの解説書なども「ぜひ、こういうものをつくりたい」という熱意をもった発起人がいて、この方に引っ張られるかたちで皆さんが力を合わせて実現しました。

フラットな組織で楽しく、ムリなく、患者さんのために

協和キリン GIBBS とはいえ、IBDネットワークがこれまで30年もの長期にわたってアクティブに活動を続けてこられたのは、なぜなのでしょうか。

吉川 IBDネットワークが現在のようなまとまりのよい組織になるまでは、活動方針などをめぐって価値観がぶつかり合い、意見の合わない方々が離れていった時期もあったと聞いています。

こうした経緯を経て、活動のモチベーションを長期間維持できた理由の1つは、毎年秋に各都道府県の患者会が持ち回りで主催して総会を開いていることが挙げられます。

会員は旅行に行くような気分で参加し、1泊2日でまじめな議論もするし、症状がコントロールできている方は飲んで騒きもするという楽しい時間をともにして、「また、来年会いましょう」と笑顔を交わして解散するわけです。こうしたことが会員相互の絆を強くし、活動が長年続いてきたポイントの1つなのだろうと思います。

協和キリンGIBBS 辛い時期を過ごされた同志がよりよく生きるための情報を共有し、親睦を兼ねて全国各地で総会を開いていらっしゃるわけですね。医療従事者の先生方が、患者さんの病気をよりよくしたいという思いから日々真摯に研究に取り組まれ、学会に参加して議論を交わしておられるのと同じ志を感じます。

協和キリン吉永 実は私自身も難病指定を受ける疾患を持ついち患者であり、長く患者会に在籍しています。患者仲間としてIBDネットワークの方々と各地でご一緒させていただくことが多いのですが、疾患や患者会の壁を超えフラットな組織として運営されているという点は、かねがね実感してきたことです。

また、かつて私は消化器疾患に特化した製薬企業に在籍していたことがあるのですが、IBDネットワークの患者会の方々から「○○製薬の吉永さん」と呼ばれたことは一度もなく、肩書なしに「吉永さん」と呼ばれていました。

医師に対しても、患者に対しても、肩書やキャリア抜きの仲間として接するという一貫した姿勢が患者会内に浸透しており、そういう文化が横のつながりを盤石なものにする秘訣だと理解しています。

画像: 協和キリン吉永 享史(左)と吉川祐一さん(右) オンラインでのディスカッション風景

IBDネットワークの皆さんは、難病法が成立したときもこうした文化のもとに牽引役を務められました。IBDの患者さんやご家族を助けるだけでなく、難病をとりまく社会や風土を変えたいという志をもった方々がとても多いという印象をもっています。

なおかつ患者さんと医療従事者の先生方との懸け橋にもなっておられ、全国各地で医師と患者の協働で市民公開講座を開催されているのもIBDネットワークならでは取り組みだと思います。

一般的に市民公開講座は先生方が患者さんに向けて、疾患や治療に関する情報について講演されることが多いのですが、IBDネットワークの場合、患者さん自らが医療従事者とともに社会での理解や疾患啓発を目的として市民の方々向けに企画されているという点は特徴的です。

多くの患者会が「IBDネットワークに続け!」という流れがありますので、自慢をしていただいてもいんじゃないかなと思います。

吉川 ありがとうございます。

【後編につづく】