SDGsの目標3に掲げられた「すべての人に健康と福祉を」の課題のひとつにアンメット・メディカル・ニーズ(Unmet Medical Needs:いまだに治療法が見つかっていない疾患に対する医療ニーズ)の存在がある。
医学、医療が進歩したいまなお、治療法が確立していない難病や希少疾患、既存の治療法では十分な効果が得られない難治疾患は少なくない。一方、こうした疾患に対して新たな診断法、治療法が見出され、早期発見・治療に結びつくケースも増えている。
MIRAI PORTでは、難病、希少疾患、難治疾患に苦しむ患者さんとご家族に寄り添う医師にインタビューし、アンメット・メディカル・ニーズの充足、SDGs目標3の達成に向けた課題や、解決に向けた取り組みを紹介していく。
今回は、歯科領域のアンメット・メディカル・ニーズに挑む専門家にお話をうかがった。骨と歯はつくられるしくみや成分が似ており、骨の病気をもつ人は歯にも症状を認めることが多いという。
大学病院に勤務する小児歯科専門医であり、骨の病気にともなう歯の症状をもつ患者さんに対する診療経験が豊富な大川玲奈先生に「骨の病気と歯の関係」についてお話をうかがうとともに、子どもが生涯にわたってしっかり咬める歯を維持するためのポイントをご解説いただいた。
【出演者プロフィール】
大阪大学歯学部附属病院 小児歯科 大川玲奈(おおかわ れな)先生
1976年、兵庫県生まれ。大阪大学歯学部附属病院小児歯科 准教授。日本小児歯科学会指導医専門医。大学病院にて小児歯科に関する診療と研究、教育を行っている。
画像:大川玲奈 先生(大阪大学歯学部附属病院 小児歯科)
子どものお口のケアが大切な理由
お口は健康の入り口といわれます。生涯にわたってしっかり咬める歯を維持し、心身ともにすこやかに生きていくためには、子どものころからお口の中のケアを適切に行うことがきわめて大切です。
通常、人間の歯は、産まれて半年ぐらい後から乳歯が生えはじめ、5~6歳ごろから乳歯が抜けて永久歯に生えかわり、15歳ぐらいになると永久歯が生えそろうというプロセスをたどって成長します。
大阪大学歯学部附属病院小児歯科では、こうしたプロセスが問題なく進んで、永久歯が健全に生えそろうことを目標とし、小児歯科専門医を中心にお子さん1人ひとりに応じた歯みがき指導、むし歯になりにくい食事などの生活習慣指導や歯科治療を行っています。
大学病院という性格上、地域の一般の歯科医院では治療がむずかしい患者さんや、歯科治療に際して特別な配慮が必要な病気や障害をおもちの患者さんが紹介され、数多く受診されています。
画像:診療中の大川玲奈先生
以前は「乳歯はすぐに生えかわるから、むし歯になってもあまり問題はない」と言う人が多く、現在でもそのように考えている人がいますが、実際は正しくないことがあまり知られてはいません。
乳歯のころからむし歯をきちんと治しておかないと、永久歯がむし歯になりやすくなったり、歯ならびや咬み合わせが悪くなり、健全な永久歯列の育成が難しくなったりするのです。
乳歯がむし歯になると、痛い、咬めないなどといった問題に加えて、熱が出るなど、全身に影響がおよぶこともあります。
生えかわったばかりの永久歯は、専門用語で「幼若永久歯」といわれるように、歯質が未熟で、むし歯になりやすいという問題があります。乳歯にいたむし歯菌が幼若永久歯にうつってしまい、永久歯もむし歯になりやすくなります。
さらに、乳歯には永久歯が生えてくる場所を確保するという役割があるのですが、乳歯がむし歯で失われてしまうと、ガタガタした歯ならびになってしまうこともあります。
歯ならびや咬み合わせが悪かったり、抜歯せざるを得なかったりすることでしっかり咬めない状況になると、成長期に必要な栄養が十分に取れなかったりするだけでなく、ご本人が見た目に悩むこともあります。
お子さんが心身ともにすこやかに生きていくためには、しっかりとお口のケアを行い、歯ならびや咬み合わせが悪くならないようにしていく必要があります。
骨の病気の人は歯にどのような影響が出るか
このように乳幼児期から青年期にかけてしっかりお口のケアをすることは、どなたにとっても大切なことですが、特に気をつけていただきたいのは骨の病気をおもちの患者さんです。
歯はからだの中でもっとも硬い組織であり、骨とつくられるしくみや成分などもよく似ています。骨の病気をおもちの患者さんは、病気によって歯にさまざまな症状を認めます。
歯の症状を認める代表的な骨の病気には、FGF23関連低リン血症性くる病・骨軟化症、低ホスファターゼ症、骨形成不全症、軟骨無形成症などがあります。
画像:小児の歯について説明する大川玲奈 先生 (インタビュー風景)
■FGF23関連低リン血症性くる病・骨軟化症
体内で線維芽細胞増殖因子23(FGF23)と呼ばれるホルモンが過剰につくられ、丈夫な骨や歯をつくるためにカルシウムとともに必要なミネラルであるリンが不足することで骨や歯に症状をおこす病気の総称です。
代表的な疾患には、先天性のX連鎖性低リン血症性くる病・骨軟化症(X-linked Hypophosphatemic Rickets/Osteomalacia:XLH)、後天性の腫瘍性骨軟化症などがあります。
XLHは骨だけではなく歯の症状をおこすことが多いため、注意する必要があります。
XLHの歯の症状は、歯の表面のエナメル質の内側にある象牙質が正常に形成されないこと(象牙質形成不全)によっておこります。
図1 :健康な乳児とX連鎖性低リン血症性くる病・骨軟化症くる病・骨軟化症の患者さんの乳歯の違い。顕微鏡で見ると小さな隙間がたくさんあいている。
(図版提供:大川 玲奈先生。大川先生のご教示をもとに編集部で一部加工。転載禁止)
形成不全の象牙質には、顕微鏡でしか見えない小さな隙間がたくさんあいています。歯の表面をおおうエナメル質が食事や歯ぎしりなどによってすり減ると、この形成不全の象牙質がお口のなかでむき出しになってしまい、お口のなかにいる細菌が歯の神経に感染して炎症をおこします(図1)。
炎症がおこると、歯ぐきが赤く腫れたりするだけではなく、膿の袋となって現れます(写真①)。このような歯肉膿瘍をおこすことが多いのも、この病気の特徴の1つです。
写真①:FGF23関連低リン血症性くる病・骨軟化症の患者さんの歯ぐきにできた歯肉膿瘍
(写真提供:大川 玲奈先生。転載禁止)
■低ホスファターゼ症(HPP)
アルカリホスファターゼ(Alkaline Phosphatase: ALP)という酵素のはたらきが悪くなることで起こる骨の病気です。英語の疾患名である“Hypophosphatasia”から、HPPという略称で呼ばれています。
丈夫な骨や歯をつくるためには、ALPによって分解されたリンがカルシウムと結合してできる「ハイドロキシアパタイト」という硬い結晶が骨や歯に蓄積される必要があります。
ALPの異常によっておこる、この病気の代表的な歯の症状は、通常の生えかわりより早い1~4歳で乳歯が抜けてしまうことです(写真②)。
写真②: 低ホスファターゼ症(ALP)の患者さんの歯ならびと治療に用いる義歯
適切に治療しないと、咬み合わせが悪くなって栄養をしっかり吸収できないことに加え、話すことや見た目の問題に悩む子も多いという。
(写真提供:大川 玲奈先生。転載禁止)
健康な歯は、歯根膜というクッションの役目をする組織を介してあごの骨(歯槽骨)に接着し、安定した状態で埋まっています(図2)。
この病気の患者さんは、歯の表面をおおうセメント質が正常に形成されないため、歯根膜を介した歯と歯槽骨の接着が弱く、ちょっとぶつけたぐらいでも歯がグラグラしたり抜けたりします。
図2:健全な乳歯と低ホスファターゼ症の患者さんの乳歯の違い
(図版提供:大川 玲奈先生。大川先生のご教示をもとに編集部で一部加工。転載禁止)
■骨形成不全症
生まれつき全身の骨が弱く、転んだりするだけで骨折したり、骨が変形したりする病気です。
この病気の原因のおよそ9割は、骨や歯などを形成するのに必要な「I型コラーゲン」の生成に関わる遺伝子の異常によるものと考えられています。
体内でⅠ型コラーゲンが不足すると、歯の内側の象牙質が形成不全をおこしてもろくなり、表面をおおうエナメル質がはがれやすくなります。
ほぼ透明なエナメル質を通して形成不全の象牙質が透け、歯が琥珀色に見えることもあります(写真③)。
写真③: 骨形成不全症の患者さんの歯の様子 歯が琥珀色に見える。
(写真提供:大川 玲奈先生。転載禁止)
骨形成不全症の方は、歯の神経が入っている部分が細くなり、むし歯になっても痛みを感じにくくなるため、むし歯が進行したり、神経の治療が難しくなったりします。
■軟骨無形成症
軟骨が正常に形成されないため、骨の健全な成長が妨げられ、低身長になったり手足が短くなったりする病気です。
歯そのものには影響はありませんが、あごの骨の発育に異常をきたし、上下の奥歯は咬み合っていても、前歯が重なり合わない「開咬」など、咬み合わせの異常を認めます。
骨の病気にともなう口の症状は医科 – 歯科連携で対応
私が骨の病気にともなう歯の症状に興味をもつようになったのは、大阪大学医学部附属病院小児科に小児の骨の病気をご専門とされている先生が複数おられ、当科に多くの患者さんをご紹介いただいてお口の管理を行なっていたのがきっかけです。
それ以来、お互いに連携しながらお子さんのお口の健康を守るための診療や研究、啓発活動に取り組んできました。このように医師と歯科医師が連携して診療や研究を行うことを「医科-歯科連携」といいます(図3)。
骨の病気の多くは、たくさんの種類があるにもかかわらず、それぞれの病気の患者さんがきわめて少ない「希少疾患」です。発症頻度はXLHや軟骨無形成症で2万人に1人程度1)2)、骨形成不全症で2~3万人に1人程度3)、HPPの重症型は15万人に1人程度4)と考えられています。
骨の症状が軽症の場合は、日常生活に支障がないことが多く早期発見が難しいのですが、歯のトラブルから骨の病気の早期発見や早期治療に結びつくケースも数多く経験してきました。
図3 :骨の病気にともなう歯の異常は、医師と歯科医師が連携して診療にあたる「医科-歯科連携」が円滑におこなわれる必要がある。
(図版:大川先生のご教示をもとに編集部で作成。転載禁止)
たとえば、「まだ1歳なのに乳歯が抜けてしまった」というお子さんが当科に受診された場合、HPPが疑われるようであれば小児科に紹介しています。
エックス線検査で骨の状態を診査し、血液検査で骨の形成にかかわるALPなどの値を確認した上で、精密検査によって確定診断されています。HPPと診断された場合は、成長発育の管理を受けていただいています。
また、当科では1歳6か月児健診や3歳児健診などにかかわる歯科医師の先生方に、骨の病気に認められる歯の症状を知っていただき、早期発見につなげるための啓発活動を行っています。
その結果、歯科の先生方からのご紹介をきっかけに、全身疾患の診断につながる症例も増えてきました。
幸いなことに、XLHには生物学的製剤と呼ばれる医薬品、HPPには不足するALPを医薬品として投与する酵素補充療法が開発され、臨床現場で使われるようになりました。
こうした医薬品を使われた患者さんの症例報告はいくつか示され始めましたが、歯の領域に関しては、まだ詳しいことはよくわかっていません。
先ほど「骨と歯はよく似ている」というお話をしましたが、違うところもあります。一番大きな違いは、骨は骨折しても修復するためのしくみがはたらいて再生しますが、歯は再生しないということです。
こうした医薬品が歯の症状にも有効であることが臨床研究で立証され、歯の症状の改善につながるようになることを願っています。
大切なことは、乳歯を虫歯にしないこと
画像:イメージです。
皆さんのなかには、「歯医者さんはむし歯になったときに治療するところ」というイメージをおもちの方もおられるかもしれません。
私が小児歯科専門医を志したのは、むし歯で受診された患者さんに対症療法的にアプローチするだけでなく、もっと長いスパンでお口の病気を根本的に治療したり、予防したりしたいと考えたからでした。
生まれてから歯が生えるまでは、むし歯菌はお口のなかにいません。むし歯菌は、歯が生えると身近な人、多くの場合、お母さまからお子さんに伝わります。
骨の病気にともなう歯の症状に限らず、お子さんが生涯にわたってしっかり咬める歯を維持するためにもっとも大切なことは、ご家族がお子さんに悪いむし歯菌をうつさないよう、ご家族の皆さんが、日ごろからしっかりご自身のお口のケアに努めていただくことです。
このため、当科では妊娠前、妊娠中の方々を対象に「マタニティ歯科外来」を開設しています。
お子さんのむし歯は単に治療すればよいというものではなく、一人ひとりに応じた食生活や生活習慣、ケアのしかたを身につけていただかないと、将来的に歯ならびや咬み合わせに悪影響がおよぶことがあります。
これまでお話したような骨の病気にともなう歯の症状に気づかれたら、日本小児歯科学会のホームページ5)で小児歯科専門医がいる医療機関を調べて、受診されることをお勧めします。また、かかりつけの小児歯科専門医をつくって、定期的に受診することもたいへん重要だと思います。
画像:大阪大学歯学部附属病院 小児歯科 大川玲奈 先生
いま、医療業界では「アンメット・メディカル・ニーズ」という言葉が生まれ、“誰もとりのこさない未来“を見すえて、さまざまな難病で苦しまれる患者さんへの社会的な理解をうながす活動が広まっていると聞きます。
私たちが大学病院で行っている取り組みが、歯科領域のアンメット・メディカル・ニーズを満たし、SDGsの目標である「すべての人に健康と福祉を」の達成に結びついて、患者さんとご家族の幸福に貢献できることを願っています。
1)協和キリンHP「日常診療に潜む希少疾患 X染色体連鎖性低リン血症性くる病・骨軟化症(成人XLH)」(2022年3月24日閲覧)
https://medical.kyowakirin.co.jp/raredisease/leaf/crv006.pdf
2)小児慢性特定疾病情報センターHP 「軟骨無形成症」(同)
https://www.shouman.jp/disease/details/15_02_002/
3)難病情報センターHP「骨形成不全症(指定難病274)」(同)
https://www.nanbyou.or.jp/entry/4568
4)「低ホスファターゼ症診療ガイドライン最終版(2019年1月11日公開)」(同)
http://jspe.umin.jp/medical/files/guide20190111.pdf
5) 日本小児歯科学会HP「専門医がいる施設検索」(同)
https://www.jspd.or.jp/facility_search/
CC-00093