土埃の立つ囲いの中に一人の若い女性が足を踏み入れると、すぐに何頭ものロバが駆け寄る。構ってくれと言うようにそっとつついてくるロバたち。そのやわらかい鼻づらをなでてやり、ニンジンを食べさせている彼女は、普段は看護師として働いている。

生後10日のロバの赤ちゃんを腕に抱くと、モニカ・モラレス(25歳)はかわいさのあまり思わず声を上げた。ここ「エル・ブリット・フェリッツ(幸せなロバの赤ちゃんの意)」で、数時間のんびりくつろいだ彼女は、すっかりリラックスした様子だ。エル・ブリット・フェリッツは、新型コロナウイルスと戦う医療関係者を対象に、ロバと触れ合って心身を癒すセラピーを無料で行っている団体だ。

アニマルセラピーと言われるこうした動物との触れ合いには、ストレスやうつ病、不安など、さまざまな心身の不調を和らげる効果がある。

アニマルセラピーと聞くと、馬の方がイメージしやすいかもしれない。だが、精神的な不調を和らげるには、おとなしくて、パーソナルスペースをわきまえているロバの方が向いていると専門家は言う。

「現場はひどい有様です。やっと終わったと思ったのに、今またあの時の状況に戻りつつあります」 そう話すモラレスは、感染の第1波がスペインを襲うさなか、マドリードにある病院で数ヶ月間、働いた。第2波に見舞われている今、南部に拠点を移している。

「患者の数は増え続け、私たち医療関係者の間でも日に日に緊張が高まっています。ここでこうしてロバと触れ合うことで、本当に救われているんです」

スペイン南部アンダルシア州にあるドニャーナ国立公園のはずれには、広大な森が広がる。そのすぐ近くに、非営利組織エル・ブリット・フェリッツはある。ここでは23頭のロバが飼われていて、アルツハイマー病患者や問題を抱える子どもたちの支えになっている。

今回の「ドクター・ドンキー」プロジェクトは、今年6月の終わり、新型コロナウイルスに第一線で向き合う医療従事者にひと息ついてもらう目的で始まった。スペインにおけるこれまでの感染者数は90万人を超え、死者は3万3,400人あまり(執筆時現在)。医療従事者たちは、心に傷を負い、疲れ切っている。

日本の森林セラピー

「日々新型コロナウイルスと戦う中で蓄積される大きなストレスに、医療従事者の皆さんは心身をすり減らしています。ここでは、ロバと触れ合ううちに英気を養うことができます」と、エル・ブリット・フェリッツを運営するルイス・ベジャラノ(57歳)は言う。

「明日もまた戦うための力を蓄えるのです」

ベジャラノは、森林セラピーについて書かれた日本の本を読んで、アイデアを思いついたと言う。森の中で過ごすことで、ストレスやうつ病を改善するという新たな治療法だ。

「自らが感染するリスクだけでなく、同僚や家族、それに重症化しやすい他の患者さんを感染させてしまうリスクもあり、現場には大きな不安やストレスが生じています」と、がん専門医のマリ・パツ・ロペス(31歳)は言う。

それに、自分自身、いつ具合が悪くなってもおかしくない。スペインでは、医療関係者の10人に1人が感染している。これは、国民全体の感染率の2倍にあたり、世界的に見てもかなり高い確率だ。

「他の病院では心のケアが行われているそうですが、私たちはそうしたケアは受けていません」と話すロペスは現在、スペイン南部の都市ハエンで働いている。ロバセラピーのことは、テレビで知った。

マガラネスという名のロバと1時間ほど森を歩いた彼女は、ずいぶんリラックスできたと話す。

「ロバといると、愛おしさがこみ上げてきて、幸せな気分でいっぱいになります。現実を忘れさせてくれます。すごくオススメです」

生理学的な変化

ここを訪れた人たちは、ロバと親しくなると、まずガイドとともに散歩に出る。ガイドなしでも大丈夫だと思えれば、次はロバを連れて一人で森に入り、そこで好きなだけ時間を過ごす。

厩舎に戻ると、ロバのためにえさを準備する。囲いの中に入って、たくさんのロバと思う存分触れ合える「ドンキー・バス」というオプションサービスもある。

「ロバは、心を通わせることができる動物です。自然の中でロバと過ごせば、その効果はさらに高まります」と話すのは、プロジェクトの顧問を務める心理学者のマリア・ジーザス・アークだ。

森の中で動物と触れ合っているうちに、「良し悪しをジャッジしない相手を前にすると、ありのままの自分をさらけ出せるようになるのです」と彼女は言う。

研究では、アニマルセラピーによって生理学的な変化も起きることが分かっている。喜びを感じると分泌されるオキシトシンが活性化し、血中のエンドルフィン濃度が高まるとともに、ストレスを感じると分泌されるコルチゾール値が下がるという。

「森や自然の中を30分歩くと、気分が変わってきます」

つらい記憶

医師ニーヴス・ドミンゲス・アグエロ(49歳)が営むマドリードの診療所。ここには、ロバに鼻を寄せる看護師を描いたスケッチがある。キューバのグラフィックアーティスト、ラムセス・モラレス・イスキエルドが描いたものだ。今年の夏、アグエロ自身がロバに会いに行ったときのことを思い出させてくれる。

この春の(コロナの)恐ろしい記憶について話すと、今でもアグエロは動揺して涙をみせる。ベッドが足りずに廊下に寝かされていた患者、愛する人に会えないまま亡くなっていった人たちの姿がよみがえる。

「パンデミックや感染そのものがつらいだけではありません。たくさんの人が苦しんでいる様子を見るのが本当につらいんです。大きな病院と違って、かかりつけ医 の場合、患者さんがどんな人で、どんな暮らしをしているか、ご家族のことまで知っていますし」

アグエロも、ロバと数時間ともに過ごしたことで驚くほど救われたという。

「素晴らしい体験でした」と彼女は笑う。「ロバといると気持ちが楽になるし、森の景色はとても美しい。ただ、遠いのが残念です」

これまでに25人の医師や看護師がここを訪れた。だが、感染が再び広がっている今、やってくる人の数は減っている。スペインは、欧州の中でも極めて高い感染率を記録していて、医療従事者たちは今も現場に出て戦っている。

このプロジェクトは当初11月までの予定だったが、ベジャラノはそれ以降も続けるつもりでいる。寝泊まりできるような施設をつくることも検討中だ。

「この状況は、何年も続くかもしれません。そうならないことを願いますが、そうなってしまったら覚悟を決めるしかありません」

この記事は、Digital Journalで執筆し、Industry Diveパブリッシャーネットワークを通じてライセンスされたものです。ライセンスに関するお問い合わせはすべてlegal@industrydive.comまでお願いいたします。