イラク・クルド人自治区の首都アルビルには、シリア難民のアブダサマド・アブダルカディール(45歳)が経営するカフェがある。はじめのうち、ここで苦いコーヒーを飲む市民は誰一人としていなかった。ところが今、このカフェは大きな人気を集めている。その理由の一つが、盛んな異文化交流だ。
2011年にシリア内戦が勃発して以来、シリア北東に暮らしていたクルド民族の多くが国境を超えてイラクのクルド人自治区に逃れてきた。
イラク・クルド人とシリア・クルド人は、民族として似たような起源を持つが、方言も文化的な慣習も異なる。ところがここ数年、互いにそれぞれの慣習を取り入れるようになっている。
アブダルカディールは6年前、故郷であるシリア北東のカミシリを逃れてアルビルに移り住んだ。そして、人々でにぎわう市場にカフェを開いた。
オープンして最初の1週間は、新たな顧客を得ようと、近隣の店を経営する人々に試飲用のコーヒーを無料で配って回った。しかし、苦すぎて飲めたものではないと文句を言われた。
AFPの取材に対し、「経営はうまくいきませんでした」とアブダルカディールは答えた。イラク・クルド人は、砂糖たっぷりでシロップのように甘いインスタントコーヒーや紅茶を好んで飲むことが多いのだそうだ。
アブダルカディールは持ち前の粘り強さと人懐っこさで、まずは砂糖入りのコーヒーを近隣住民に飲んでもらえるようにした。そしてついに、何も入っていないコーヒーを飲んでもらえるようになった。
今では、同じ市場にレトロな趣のある2号店をオープンできるほどに繁盛している。
「今は、毎日200~300杯もコーヒーが売れます。お客さまの9割はイラク・クルド人の方で、砂糖なしで飲んでいます」とアブダルカディールは誇らしげに語った。
– 活気が増した街 –
変わったのは、コーヒー文化だけではない。シリア料理を取り入れるレストラン、イラクとシリアの建築様式を融合させる建築家、さらには音楽や言語の交流まで起こっている。
シリア・クルド人の夫とともにアルビルで暮らすジュマナ・トゥルキは、2014年に移り住んだ当時、アルビルでは日没後に外を出歩く女性がほとんどいないことを知って驚いたという。
しかし今では、シリア系もイラク系も、クルド人女性が夜遅くまで市場やショッピングモールで買い物をしている。中には働いている女性もいる。
「シリア難民の影響です。シリアでは、女性が市場で働くのも夜に出歩くのも普通でした」と社会学の修士号を持つトゥルキは言う。
世界を見渡してみると、新参者が流入してきた地域では「ゼノフォビア(外国人嫌悪)」という拒否反応が地元民に見られることが少なくない。変化によって自分たちの文化が失われるかもしれないと、直感的に恐れるからだ。
イラク北部のクルド人は、独自の自治区を築きあげた。そこではソラニ方言と呼ばれるクルド語を話す。自分たちのテレビ番組や自治体も持っている。
イラク・クルド人も、はじめのうちはシリア・クルド人の慣習を受け入れることを拒んだ。しかしここ数年で、2つの文化がじわじわと融合するようになってきた。文化研究の博士号を持つアルビル在住の学者ハウツェン・アハメドは、これを「歴史の中で繰り返されてきた拒否反応からの離脱」と表現している。
現在、クルド人を中心とする30万人ほどのシリア難民がイラク・クルド人自治区で暮らしている。トルコ軍による昨年のシリア攻撃でも、大勢の人々がイラク北部の難民キャンプに追いやられた。
AFPの取材に対しアハメドは「異文化の伝統や習わしが入ってくると、土着の文化が活性化しておもしろさが増すと昔から言われています。シリア難民は、それを証明しました」と答えた。
-強い共感 –
文化の融合は、双方向のやりとりだ。そう表現するのは、2012年からアルビルでミュージシャン兼教師として活動するシリア人のフセイン・デワニ(33歳)だ。
「イラク・クルド人のおかげで、ぼくたちのクルド語も復活しました。彼らはシリア・クルド人よりも純粋なクルド語を話すんです。シリアでは、クルド語は禁止されていたので」とデワニは語る。
シリア政府は、クルド人がクルド語を話すことや民族独自の祭りを祝うことを長年にわたり禁止していた。シリア国籍を与えることさえも拒んでいた。クルド人から独立の声が上がり、国にとっての脅威となることを恐れていたのだ。
一方イラク・クルド人自治区では、ラジオ番組も政府の声明も路上の標識も、ほぼクルド語だ。
デワニはアルビルでのソラニ方言を覚える一方で、故郷のシリアで話されるクルマンジー方言を同僚に教えたこともあるという。
「アルビルに来た時、祖母が昔話していたクルド語の単語を耳にしました。シリアでは、世代を経る中ですっかりクルド語が失われていました」とデワニは当時を思い出す。
カフェ経営者のアブダルカディールと同じく、デワニもカミシリ出身だ。アルビルの自宅アパートには、ダフと呼ばれるフレームドラムやギターなどの楽器を飾っている。
デワニは、新たな故郷となったアルビルに来てから、ダフを習い始めた。ここには、最高のドラム奏者や講師がいるという。
デワニが言うには、高度に進んだイラク・クルド人の音楽文化は、シリア・クルド人の音楽にも溶け込んでいる。またイラク・クルド人の影響を受けて、シリア・クルド人も伝統的な民族衣装を身にまとうようになった。
共感が生まれたり習わしが共有されたりすることが、ここ数年で盛んになっている。そう語るのは、イラク・クルド人自治区で医師として働くシリア出身のロディ・ハッサンだ。
ハッサンは2008年、医学を学ぶためにイラク・クルド人自治区に移住してきた。シリア内戦が始まる3年前のことだ。
AFPの取材に対し、ハッサンは次のように語った。「ぼくがここに来た当初は、ほとんどお互いのことを知りませんでした。ステレオタイプしかありませんでした」
「でも今はまったく違います。お互いにとても共感しあっています。友情も芽生えていますし、異文化同士で結婚する人もいます」
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