アルメニアで生まれ育ったハルマ・ハルトゥーニは、自分がゲイであることに不安を感じていた。実際、はじめの頃は、病気ではないかと思っていた。

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私が生まれ育ったアルメニアでは、同性の相手を好きになるのは病気だとしか思われていなかった。私は、こういった性的指向を表す言葉があることすら知らなかったし、それが自分の(あるいは他の誰かの)アイデンティティの核になるなんて思ってもみなかった。10代の頃は自分の気持ちに戸惑いを覚え、内分泌科医に診てもらったこともある。「僕をもっと男らしくしてほしい。もっと、何というか、自分らしさを消したい」と、いくつもの病院を渡り歩いてホルモンの専門家に頼み込んだ。でも、上手くいかなかった。それから20年経った今、私は最愛の人と結婚し、一人の息子と双子の娘を持ち、不動産業を成功させ、本も出版した。とはいえ、ここまでの道のりは波乱に満ちていた。

自分の性的指向に気付く

男の子が好きだと最初に気付いたのは、休暇に家族でプールに行った時だった。どこを見渡しても、泳いだり、肌を焼いたり、バスケットボールをしたりしている男性が目に入った。私は、どうあがいても、彼らから目を背けることができなかった。本能的に彼らに惹きつけられ、彼らの体に魅了され、体格に目を奪われた。気持ちが悪くなり、自分は病気だと思った。

本当の自分を受け入れてしまわないように、中学と高校では毎年転校した。そして19歳の時、自動車事故に遭って、私の体はボロボロになった。後ろから来た車に自分の車が追突され、車を降りると、今度はそこを通りかかった別の車に引かれた。両足の骨がほとんど全部折れた。治療のため、両親を説得してカリフォルニアに行かせてもらった。完治した頃には、もう米国の外には出られないと思った。この国では、安心して自分の性と向き合うことができる。アルメニアに戻ることは、もうなかった。

ある夜、私は「The Abbey」というゲイバーに行き着いた。そこでは、ただただ衝撃を受けたことを覚えている。人々のファッションにも、誰もが自分の思いをさらけ出していることにも、ゲイであることを誇りに思うという考え方にも、ショックを受けた。その上、あの頃はまだあまり英語を話せず、バーにいる誰ともちゃんと会話ができなかった。だから隅に立って、人を品定めしながら、怯えていた。

はじめは、自分の「病気」がもっと悪くなると思って、あのバーにまた行くのが怖かった。でも結局は行くことにした。そうしたら、みんな驚くほど優しく、私を歓迎してくれた。しかも、アルメニア語やそれに似た言葉を話せる男性のグループにも出会えて、楽に言葉を交わすことができた。

The Abbeyに通いつめ、他のゲイの男性と交流すればするほど、二重の生活を送っている気がしてきた。病気のアルメニア人としてのもともとの生活と、ゲイとして生きる夜の暮らしの二つだ。そして21歳の時、私はついに母にカミングアウトをした。

もし今これを読んでいるあなたが実はゲイで、それを周りに隠しているなら、真実を打ち明けることをやめろとは言いたくない。でも、あれは地獄だった。本当の私を知って、母は自殺しようとした(運よく失敗したが)。それから、同性愛者を異性愛者に変えるコンバージョン・セラピー(転向療法)に私を送り込もうとした。その後5年間は、私と母は信じられないほど仲が悪かった。

夫に出会い、家庭を築く

今の夫であるアサドに出会ったのは、母にカミングアウトをした少し後のことだった。あの頃は、誰かと付き合いたいとは思っていなかった。でもイラン人のアサドは、過去に出会った他の誰よりも私の文化を理解してくれて、彼といると心が休まった。私と彼はすぐに親友になり、そして恋人同士になった。

2度目のデートの時、私たちはホーム・デポに行って家具を作るための資材を買い、付き合って47日目に同棲を始めた。交際3カ月で共同の銀行口座を作り、交際5年で結婚し、子どもを迎えることにした。

おもしろいことに、母に子どもを持つつもりであることを伝えると、私たちの親子関係はがらりと変わった。たぶん、私のパートナーが誰であっても、母は孫をかわいがり、人生の次の章を体験できるのだと分かったからだろう。今では母とは仲直りをして、母は私たち家族を祝福してくれている。

2013年、アサドと私は代理母の助けを借りて子どもを迎えることに決めた。なぜなら当時、養子縁組で大変な苦労をしているLGBTQ+の仲間がいたからだ。

2014年4月、私たちの息子が生まれた。そのわずか3カ月後には、代理母から次の妊娠の用意ができていると連絡があり、2015年7月に双子の娘が誕生した。(代理母の契約には多額の資金がかかるが、私達の場合、仕事による収入もあったため代理母出産の費用を賄うことが幸いにもできた)

我が家の子どもたちは、母親が二人いる家庭や、父親が二人いる家庭、父と母がいる家庭といった現代の家族が当たり前にいる環境で生まれ育ってきた 。だから、父親が二人いることをすんなり受け入れている。でも、今では息子は7歳に、双子は6歳になり、「プライド」や「ゲイ」「ストレート」といった言葉の意味を聞いてくるようになった。

例えば、息子から「ゲイ」の意味を尋ねられた時、私が説明すると、彼はただ「ふーん」と言って、またiPadで遊びはじめた。彼にとってそれは、たいしたことではなかったからだろう。子どもたちがもっと大きくなれば、きっと、こういう疑問がもっと出てくると思う。そして私たちは、それに答え続ける。隠すべきことは何もないのだから。あるのはプライドだけだ。

幸せを見つける

もし誰かが、20年前の私に今の私の姿を伝えたとする。将来君は男性のパートナーを得て、家庭を持ち、幸せと成功と愛に満ちた暮らしを送ることになる、と。そんなこと、あの頃の私はとても信じられなかっただろう。

20年前の私は、自分を否定し、恐れ、自己嫌悪に陥り、卑屈になっていた。もし、あの頃の私に共感する人がこれを読んでくれているとしたら、「あなたの人生はまだ終わりではない」と伝えたい。この先のあなたの人生は、想像以上にすばらしいものになる。本当の自分をさらけ出し、愛する人に気持ちを伝え、自分の道は必ず見つかると信じ続けてほしい。そうすればすぐに、人生をただやり過ごすのではなく、私のようにLGBTQコミュニティの一人として胸を張って生きていけるようになるから。

ハルマ・ハルトゥーニについてもっと知るには、近刊の自伝『Getting Back Up: A Story of Resilience, Self-Acceptance & Success(未訳)』をチェック。

この記事は、Shapeよりガブリエル・カッセルが執筆し、Industry Diveパブリッシャーネットワークを通じてライセンスされたものです。ライセンスに関するお問い合わせはすべてlegal@industrydive.comまでお願いいたします。