セルビアの首都、ベオグラードの中心街。太陽の光が降りそそぐ公園の芝生には、男の子が集まって座っている。だが、ピクニックに来ているのではない。
彼らは「unaccompanied minors(同伴者のいない未成年者)」と呼ばれる。移民の中でもっとも弱い立場にあるとされ、大人に見守られることなく、何千キロメートルもの距離を移動してきた。そして、隣の国への密入国をあっせんする業者に会うために、この公園にやってきた。
5年前、欧州が移民危機に見舞われると、「バルカンルート」と呼ばれる移民の通り道が表向きには閉鎖された。しかし新型コロナウイルスのパンデミックの最中でも、大勢の移民が新たにこの地に流れ込んでいる。
公式のデータによると、セルビアでは2020年の前半におよそ3万人が難民・移民として登録された。昨年の同時期と比べると約3倍にのぼる。
そのうち、1人で移動してきた子どもは1200人。もっとも幼い子は、たった7歳だ
冒頭のベオグラードの公園では、アフガニスタンから来たという緑色の目をした14歳の男の子が、家を離れた時のことを話してくれた。今年の2月に、父親と2人の兄、2人のおじが反政府武装勢力のタリバンによって山に連れ去られ、殺されたという。
AFPに対しアハマド(仮名)は「僕は逃げるべきだって、母が決めたんです」と語った。
そして彼は5つもの国境をこえて、4000キロメートル以上の距離をほぼ徒歩で移動してきた。
「アフガニスタンからイランに入る時は、山道を通りました。雪が降っていて、僕と一緒にいた人たちのうち、12人が凍死しました」 アハマドは声を震わせながら、その時の記憶を口にした。
– PTSD –
アハマドのような子どもたちは、移動中にさまざまな危険にさらされる。密入国あっせん業者を見つけること、国境警備隊の目を逃れること、異国の町で寝床を探すことなど、道中にぶつかる壁は多い。
国境なき医師団(MSF)のデータによると、セルビアを経由して1人で移動する子どもたちのおよそ3分の1が、身体的、精神的、あるいは性的な暴力を受けたことがあるという。
Unaccompanied minor migrants often face violence in their unfamiliar surroundings
Oliver BUNIC, AFP
元MSF心理士のナターシャ・トスキクはAFPの取材に対し、「大体は移動の途中で、恐喝や拷問、レイプを受けた」と子どもたちから聞いたと語った。
トスキクが診た子どもたちは、ほとんどが不安神経症や、うつ病、薬物乱用、自傷行為などの行動上の問題を抱えていた。
「心的外傷後ストレス障害(PTSD)を発症している子の方が、発症していない子よりも多いんです」とトスキクは話す。
公式に運営されている難民キャンプでも、安全ではない。
セルビアでは今年、新型コロナ対策としてロックダウン(都市封鎖)が行われ、それに伴って移民センターも休館になった。
6月、セルビアのボゴヴァジャー村にある難民キャンプの警備員らが、警棒で子どもたちを叩いたり殴ったりする動画が見つかった。このキャンプには、330人の子どもたちがいるのに、子どもたちを見守るソーシャルワーカーは1人しかいない。
また3月には、ボスニアの移民受け入れ施設で、6人の成人移民が、10代の子どもたちをレイプした疑いで逮捕された。
– 乱暴な入国拒否 –
2015年、中東と欧州を結ぶバルカン半島には、西欧を目指して進む大勢の移民がなだれ込んだ。それ以来この地は移民にとってメインルートとなった。
ところがバルカンルートは2016年、欧州連合(EU)とトルコが結んだ合意により、閉ざされた。トルコは7500億円相当の支援金と引き換えに、難民の受け入れを約束した。
だが密入国あっせん業者は今もなお、海や川、山を越えてバルカン半島を通り抜けるルートを次から次へと見出している。1台の車に20人もの移民を押し込むことも、めずらしくない。
Attempts to close the Balkans to migrants have not put off all who want to reach Europe
Oliver BUNIC, AFP
ベオグラードは、密入国あっせん業者にとって今も中心的な拠点となっており、ここから国境を接するクロアチアやボスニア、ハンガリーなどへのルートが延びている。
密入国にかかる費用は100万円を超えることもあり、家族に大きな借金を背負わせることも多い。NGOのCrisis Response and Policy Centreに務めるウラジミール・スジェクロカは、そう語った。
「求められる金額のうち、ほんの少額しか払えない」ため、子どもたちは「奴隷のように」身を差し出すしかなくなる。
またAFPに話をしてくれた子どもたちの全員が、警察による乱暴な入国拒否についても打ち明けた。保護を求めるチャンスすら与えられず、国境で追い返されたという。これについてバルカン諸国は、事実ではないと否定するか、一度きりの「事件」だと主張している。
バルカン半島に拠点をおくNGO、Border Violence Monitoring Networkが集めた証言によると、入国の拒否は、ほとんどがハンガリーとクロアチアの警察によるものだった。
また同NGOによると、子どもを含む集団への暴力は2020年だけでもすでに40件が報告されており、被害者の中には5カ月の赤ん坊もいたという。
– セルビアに残る –
クルド難民のカロックス・ピシュテワンは3年前、16歳の時に「死ぬほど怖い」思いをしてセルビアにやってきた。彼は、大抵の難民とは違う道を歩んでいる。
セルビアの児童養護施設で数年間を過ごした後、ピシュテワンはセルビアに残ることにした。彼のようにこの国で無事に難民認定を受けられるのは、ほんの一握りだ。
Karox Pishtewan made the decision to stay in Belgrade rather than press on along the migrant trail
Oliver BUNIC, AFP
19歳になったピシュテワンは現在、きれいに整えたあごひげをたくわえ、ベオグラードのアパートで暮らし、人権NGOで翻訳者としての職も得ている。
「ここでは贅沢はできませんが、生活を送ることはできます」とセルビア語で話したピシュテワン。他の若者にも、これ以上はやめた方が良いと説得することが多いという。
ピシュテワンがセルビアに来た当初、バルカン半島の周囲の国々は国境にフェンスを築いたり、外国人に対する嫌悪感をあらわにしたりしていたが、それに比べてバルカン諸国は人道的な移民の受け入れを行っており、称賛を浴びていた。
しかし次第に、移民は極右勢力の標的となっていった。セルビア政府は否定しているものの、大勢の移住者を自国に受け入れる「秘密の計画」を進めているとして、極右派は政府を非難している。
ほとんどの子どもたちは、目的の地に辿り着くことだけをひたすらに考えている。
「こんなこと、14歳の子どもが経験することではないって分かっています」とアハマド。彼は、フランスを目指しているという。
「でも、他にどうしようもなくて。先に進んでも死ぬけど、家にいても死んでしまう。どっちにしろ同じなんです」
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