ハマド・アル・アブダラは、新しく引っ越してきたコンクリート造りの家にWi-Fiと断熱材を入れた。シリア政府軍の爆撃を逃れてきて以来、家族が耐えてきた絶望的な状況をできるだけ改善したい、との思いからだ。

この真新しいコンクリート造りの家は、トルコの慈善団体により提供されたものだ。アブダラ一家は、シリア北部のトルコ国境沿いに果てしなく広がる劣悪な難民キャンプで1年近くテント生活を送っていたが、2020年2月、幸運にも24平米の広さのこの家に入居できた。

アブダラが妻と4人の子どもを連れて避難してきたのは、ロシアとイランを後ろ盾とするシリア大統領バッシャール・アル・アサド政権の軍が、反体制派の最後の砦であるイドリブ県に攻撃を仕掛けた時のことだった。

「十分広いし、住み心地もいいです」。2LDKの簡素な新居でAFPの取材に応じてくれたアブダラは、そう言った。

「もしいつか故郷に戻れるなら、そうするつもりです。しかし、シリア政府軍が撤退しないと無理です。避難民はほぼみんな、政府に指名手配されていますから」

「小さな子どもがいるので、トルコに行くのも無理です。だから、ずっとここにいるんです」と彼は付け加えた。

トルコにはすでに360万人以上のシリア人がおり、これ以上の受け入れを拒否するとした。しかし同国のNGOは、新たに押し寄せてくる難民に対処すべく、シリア領土内の居住施設を大きく拡大しようと懸命に活動している。イドリブ県の難民の数は、100万人近くに上っている。

トルコとロシアは、3月6日に停戦合意を結んだ。しかし、シリア政府軍がイドリブ県を最終的に奪還するという計画を取り下げると思っている人は、ほとんどいない。つまり、難民に残された選択肢はないに等しい。

難民キャンプは、どこまでも広がっている。トルコとイドリブを結ぶ道の両側には、数え切れないほどのテントが連なっている。だが今は、トルコのNGOが建てたコンクリートブロック造りの真新しい家がテントの合間にちらほら見える。

– 「テント生活に疲れ果てて」 –

Camps for displaced Syrians along Turkey's border stretch out as far as the eye can see with a ...

イドリブ県カフルルシンのキャンプを通る舗装されていない道。そのわきで、子どもたちは遊び、女性たちは物干しロープのそばに集まっておしゃべりをしている。羊の群れは、ゴミの山を嗅ぎまわっている。

多くのテントにはソーラーパネルが取り付けられており、電池を充電することも明かりをつけることもできる。

ここに暮らしながら、小さな店を営む人々もいる。美容室や食料品店に加え、フォーマルな服を扱う店まである。また、仮設校舎として使われている区域もある。

公衆トイレもある。ただ、下水溝からは今もひどい臭いが漂ってくる。

トルコ政府は、難民が国境を越えて入ってくるのを防ぐ手段として、仮設ではなく恒久的な建物を増やすよう呼びかけた。

この地域で中心となって活動をしているトルコのNGO、IHHによると新たなコンクリート造りの家は、収入が150ドルを下回る6人以上の家族を対象としている。

広報担当者のセリム・トスンは、IHHは1万5000軒の建設を目指しており、これまで完成したのは1000軒に上ると話す。

「みんな、テント生活に疲れて果てています。この新しい家なら、少なくとも冬の寒さや夏の暑さからは身を守れます」とトスンは語る。テントをすべて建て替えるとすれば、最終的には10万軒が必要になるという。

– 「何もかも置いて」-

A worker lays a brick at the construction site of a camp for displaced Syrians created by Turkey&apo...

トスンによれば、新たな家を建てるには1軒あたり360ドルかかる。この費用は、すべてトルコの民間からの寄付金で賄われている。

コンクリート造りの家は、ずっと恐怖の中で生きてきた逃げ場のない難民の家族に、日々の暮らしは多少なりともよくなる、という希望を与えている。

スレイマン・ムサは、2人の妻と10人の子どもで2つのテントを共有し、2年半もの間そこで暮らしてきたが、コンクリート造りの家に近々引っ越したいと思っている。

厳しい生活ではあるが、難民キャンプは少なくとも、ムサの家族にある程度の安心感を与えてくれた。

「爆弾が落ちてきたり戦闘機が上空を飛び回ったりすることもなく、安全であるかぎりは、トルコに行こうとするよりもここにいた方がいいんです」とムサは言う。

ヌーラ・アル・アリは、息子と8人の孫と一緒にマアレット・アルヌマンを逃れてきた高齢の女性だ。

「すぐそばでロケット弾が爆発して、甥が死にました」と彼女は当時を思い出す。「私も死ぬかと思って、何もかも置いて逃げてきました」

「ここなら、とりあえずアサド政権軍の爆弾が飛んでくることはありません」

 

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